MOVIE
1930
横浜リテラの歩み
1953年に「有限会社清水紙工品店」を設立。
この頃には断裁機・罫線機・角切り機も登場し、手作業が大幅に減った。
当時は手作りの貼り箱が主力商品で、横浜市内の和菓子、和装小物、漆器などを扱う得意先に、リヤカーや自転車を使って納品していた。
そして、1957年6月には増資をし工場を新設。
1960年頃の主な得意先は有明製菓・横浜高島屋・カガミクリスタルなど。
従業員は20名〜30名だった。
横浜の歩み
1960
1967年の戸塚工場の完成と同時に、紙器の各工程を担った協力会社が集まり、
1つの製品を作るというワークフローが完成し、当社はグルアー製函部門を担っていた。ほとんどの社員が戸塚工場へ移ったが、数名の社員が南区に残り、貼り箱の生産を続けた。1978年12月には戸塚第2工場、1981年9月には印刷工場棟が完成し、生産量が大幅にアップした。
1984年5月に清水社長が勲五等雙光旭日章を叙勲するが、その後病に倒れ、社長を引退。
1985年5月の役員改選にて、星野尚が代表取締役社長に就任。
1976年に4億3千万だった売上高は、1986年には15億に伸びていた。
1990
21世紀に向けて時代の進歩と共に様々なコミュニケーションツールを扱い、それらの「情報」を「カタチ」として表現できる「リテラシー=Literacy)に溢れた「総合印刷・情報加工企業」への構築を目指し「株式会社横浜リテラ」に社名を変更、CIが一新された。
2001年には星野尚が代表取締役会長、星野匡が代表取締役社長に就任した。未来を見据えた大胆な改革を推進し、積極的な設備投資を実施。
2009年には関東圏では類を見ない、印刷紙器のクリーン工場が本格稼働した。
2009年の新本社工場の竣工以降、紙器パッケージの一拠点一貫生産体制を確立させるため、生産機を次々と導入。人的負担を減らしながら生産性をあげる先進的な設備投資が積極的に行われた。
2011年に開所した、指定就労継続支援B型事業所「株式会社ハートフルリテラ」。
2017年に全館バリアフリーの新社屋を竣工した。